上弦の月

第83回 王最版深夜の一本勝負
お題「晩餐」「いただきます」

「最原ちゃん。あのね、ずっと言ってなかったんだけど、今日が最期の晩餐になるかもしれないんだ」

 王馬くんは、そう言いながら紫色の液体が入ったワイングラスを傾けた。空気と混ざり合った液体は、気泡を発しながら軽い破裂音を立てる。

「だからさ、最期になる前に、もう一つご馳走を食べたいと思ってるんだよね。……最原ちゃん、聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ」

 【ご馳走】と聞いて、僕は目の前にある皿を見た。残念ながら、食べ物は一欠片も残っていない。

「…………冷蔵庫見てこようか?」

 飲みかけの烏龍茶を置いて、腰を浮かせた。その瞬間、真正面の人物がワイングラスを勢いよく机にたたきつけた。中に入っていたプァンタが少しだけ宙に舞う。

「最原ちゃん、探偵でしょ、分かってよ!」
「何を?!」
「オレが今興味あるのは、冷蔵庫の中じゃなくて、最原ちゃんの中なの! 分かる?」
「分かるわけないじゃないか」

 浮かせていた腰を元に戻して、頭を押さえる。いくら何でも理論が無茶苦茶すぎるだろう。

「二人っきりで食事した後のご馳走なんて、そういうことしかないじゃん! 映画とかでも、二人っきりで食事してるシーンは、エロいことをしてるってメタファーなんだよ! あのキャラもこのキャラも視聴者には食事してると思わせておいて、その実やっちゃってるんだよ!!」
「いや、必ずしもそういうわけじゃないでしょ」
「もう、最原ちゃんってば、そうやってはぐらかすんだから」

 王馬くんは、肩をすくめながらプァンタを一気に飲み干した。一旦、会話が切れて少しだけホッとする。

(あのまま話を続けていたら、気がつけばベッドの上にいた、なんてことになりかねない)

 話に乗せられた結果、寝不足のまま朝を迎えたことは一度や二度ではない。明日は久々の休暇だ。寝不足だけは避けたい。そのためにも話が戻ってくる前に別の話題をぶつけないと……。

「そういえば王馬くん、キミの明日の用事って」
「最原ちゃん覚えてる? オレって、悪の総統なんだよね」
「え? それが、何か?」
「欲しいものは力づくでモノにする、ってロマンがあると思わない?」
「は?」

 意味の分からないセリフに唖然としていると、目の前で王馬くんが机に手をついた。そして、そのまま――

 跳び箱の要領で跳んだ。

「え? えええっ!?」

 王馬くんの正面にいるのは誰だ? 僕だ。つまり、僕に向かって王馬くんが跳んできている。どうする? 受け止めるべきか? そのためには、まず、椅子から立ち上がらないと、――間に合わない!
 身動きできないまま、宙を跳ぶ身体を見守る。王馬くんは、焦ることもなく、僕をまたぐ形で椅子に着地した。

「よっ、と」
「ぐっ」

 いきなり加わった体重のせいで椅子が不安定に揺れる。足が浮く。背中が浮く。椅子と同じように身体が不安定に揺れる。

(なにか)

 身体を支えようと、思わず目の前にあったものを掴んだ。
 しばらくすると、椅子は元のように地面を踏みしめる。身体も安定し、安堵の息が口から漏れた。

「にしし、熱烈歓迎ありがとう」
「……え? いや、これは! ……違う」

 掴んでしまっていた王馬くんの服を離す。この流れは、マズい。

「嘘はダメだよ、最原ちゃん。もうオレのことが好きで好きで仕方ないんだよね! 大丈夫、もともと最原ちゃんは、今日のオレのメインディッシュだったからね。何も心配いらないよ」
「し、心配なんてしてな」
「最原ちゃん」

 王馬くんが僕の名前を呼ぶ。手を合わせて小首を傾げる姿は、知らない人が見ればかわいく映るかもしれない。
 だけど、王馬くんの紫色の瞳は怪しく光っていた。獲物を逃す気がない総統の瞳。弧を描く口からのぞく舌が、やけに赤く見える。ああ、これは……逃げられない。



「いただきます」



(作成日:2018.09.02)

< NOVELへ戻る

上弦の月