上弦の月

第7回 深夜の王最小説60分一本勝負 お題「忘れた」
思い出せない暗号

「あれ?何だろこれ」

増えすぎたノートの整理中にひらひらと舞い落ちたひとつの紙切れ。
見覚えのない紙に疑問符を浮かべながら、僕はそれを拾い上げた。

『狼。兎。マントヒヒ』

(動物?何かの暗号かな?
 この文字は僕の文字だけど)

覚えがなくて首をかしげる。
ヒントがないかと、紙切れが落ちたページを開く。
そこにも僕の筆跡で意味不明な言葉の羅列があった。

『大きい。五月蝿い。丸い』

(今度は形容詞か。何だろう。
 重要なことだったら覚えていそうなものだけれど)


「さーいはらちゃん。何をお悩みかな?」
「うわっ」

ブレインドライブに入りかけた瞬間、王馬くんに突撃された。
油断していたせいで、急に感じた彼の体温にどきっとする。

「ちょ、ちょっと離れてよ」
「なになにー。ドキドキしちゃった?」
「バカ言わないで」

からかってくる王馬くんに否定の言葉を投げかけるも、どこ吹く風で相手にされない。
その余裕のある態度に少々イラッとした。

(くそ、意識なんてしてやるもんか)

ひっついてる王馬くんを無視して紙に意識を戻す。
狼。兎。マントヒヒ。
紙自身を裏返しても何も書いていない。
大きい。五月蝿い。丸い。
ノートの方も授業内容がメモされているいたって普通の状態だった。

(……そういえば、王馬くんと付き合う前に使ってたんだっけ、このノート)

ノートを使っていた時代に想いを馳せる。
あのときは自分の気持ちも王馬くんの気持ちも分からなかった。
ただ、いつも彼が気になっていて、彼が誰かと話しているだけで泣きたくなる気持ちを味わった。

「…………」
「で、最原ちゃんは熱心に何を見てるの?」
「あ、えっと」

王馬くんに手元を覗き込まれる。
流石に昔書いた自分の暗号もどきの答えが分からないとは口に出せない。

「……にしし。本当に最原ちゃんはかわいいよね」
「え?」
「おバカな最原ちゃんにオレからとっておきのヒントをあげよう」

王馬くんは嬉しげに笑うと置いてあったペンを持つ。
彼は僕が持っていたノートに文字の羅列を書き込んでいった。


『On。Un。Man』


「ね、これで分かったでしょ?」
「…………」

王馬くんの書いた文字と過去の自分が書いた文字を照らし合わせる。

(あ、うわぁ)

過去の自分の所業に恥ずかしさが這い登ってくる。

(“お”おかみ、“う”さぎ、“ま”んとひひ。
 “お”おきい、“う”るさい、“ま”るい
 ……って、何やってるの。何やってるの、僕!)

答えが分かった瞬間にすべてを思い出した。
あの時代は王馬くんに焦がれすぎて必死だった。
僕の恋心が他人にバレないように……王馬くんにバレないように。
けれど、どこかで彼を感じていたくて彼の名前を秘めた文字の羅列を書いていたのだ。

それなのに文字の羅列を書いた本人は忘れてしまい、隠したかった人物に速攻でばれるなんて。

「最原ちゃん、本当にオレのこと好きだよね」
「……っ」
「さーいはらちゃん?」
「……ああ、そうだよ、す、好きだよ、ああ、くそっ」
「にしし、オレも最原ちゃんのこと愛してるよ」

王馬くんが抱きついてくる力を強くする。
惚れてしまった弱みなのか今日も僕は彼に負けを認めて彼の腕に身をまかせた。



(作成日:2017.08.17)

< NOVELへ戻る

上弦の月