上弦の月

第201回 王最版深夜の一本勝負
お題「風邪」

(遅い)

 青かった空は、橙色に染まっていた。喧騒もじょじょに遠のき、一人残された教室には自分が立てる物音しかない。時計を見ると、そろそろ下校時間だった。
 スマートフォンを開き、メッセージアプリに表示される市松模様のアイコンをタップする。待ち合わせ時間は、とうに過ぎている。

「まったく、呼び出しておいて来ないなんて」

 これもお決まりの嘘なのか? いや、王馬くんは嘘はつくけれど、約束自体はきちんと守るタイプだ。じゃあ、どうしてここにいないんだ?
 隠された暗号でもあるのかと思い、待ち合わせに関するメッセージを読み直してみたが、手がかりになりそうなものはなかった。

(…………帰るか)

 軽くため息を吐いて立ち上がる。
 教室を出て一歩足を踏み出したとき、廊下に白いものが横たわっているのが見えた。
 白い服、黒髪、少し小柄で、極めつけは市松模様のストール。

「お、王馬くん!?」

 思わず、王馬くんに駆け寄る。抱き起こそうとした瞬間、目の前の身体が起き上がった。

「なっ」
「嘘だよー」
「え……」
「にしし、ビックリした? もう少しで泣き叫んじゃうところだった?」
「……心配して損した」

 王馬くんが、立ち上がって僕の隣に並ぶ。いつもと変わらない、そのはずなのに違和感を感じた。
 何だか王馬くんの瞳が潤んでいるような気がするし、足元もおぼついていない感じがある。口調だけがいつも通りすぎて、とてもチグハグだ。

「ちょっと最原ちゃん。だんまりは良くないんじゃ、っ!」

 何か喋っている王馬くんを無視して、額に手をあてる。
 王馬くんの平熱は分からないが、明らかに熱かった。

「……熱あるじゃないか。何で安静にしてないんだよ」
「いやー、今日は暑かったからねー。太陽にあてられちゃったんだよ!」
「今日の気温は十五℃だ」

 王馬くんの腕を引っ張って、寄宿舎に向かう。
 王馬くんは、抗いはしないまでも、歩きながら文句を言い続けている。この調子では、安静にしてくれる気がしない。

「王馬くん、熱あるんだから少しは大人しくしてくれない?」
「じゃあ、最原ちゃん。添い寝してくれる?」
「別にいいけど」
「え?」

 途端に、王馬くんが静かになった。この様子だと、大人しく横になってくれるだろう。
 安堵の息を吐きつつ、今さっき自分が返した言葉を反芻する。確か、『添い寝してくれる?』に対して『別にいいけど』と返したのだったか。

「……え?」

 気がつけば、王馬くんの部屋の前に立っていた。思わず、王馬くんから手を離し、一歩後ずさる。
 このままでは、不本意ながら王馬くんに添い寝する自体になりかねない。

「ねえ、最原ちゃん。男に二言はないよね?」
「いや、あの……」

 条件反射で返した言葉が、今になって心臓をギリギリ締め上げてくる。
 そんな僕の心情を王馬くんが慮ってくれるはずもなく、腕をしっかりと掴んできた。そのまま、先ほどとは逆に、腕を引っ張られる。

(ああ、逃げられない……)

 僕は深くため息を吐くと、王馬くんの部屋に一歩足を踏み入れた。



(作成日:2020.12.06)

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