上弦の月

第196回 王最版深夜の一本勝負
お題「追いかけっこ」

けだるい身体を動かして、階段をのぼる。目指すは、王馬くんがいるはずの屋上だ。

(まったく、毎回毎回、何でこんなことをするんだ)



 事の発端は、放課後になってしばらく経った後のことだった。
 僕は、昨日の探偵業がなかなかハードだったため、すぐに帰ることができずにボーッとしていた。

「あ、最原くん。良かった、まだいたんだ」
「赤松さん? 僕に何か用?」
「用、というか……最原くん、あそこ見てくれる?」
「え?」

 赤松さんに促されて、窓から下を覗く。そこには、ピエロの格好をした王馬くんがいた。
 王馬くんは、大きめなノボリを持って、道行く生徒に向かって盛んに振っている。何だか嫌な予感がする。そう思い、ノボリに書いてある文字を凝視した。

「……《最原終一はおうまこきちのもの》?」

 文字を認識した途端、頭が痛くなってきた。今日は疲れているから、勘弁してほしい。

「なに、やってるの?」

 僕は、王馬くんに向かって声をかける。そこで王馬くんがこちらに向かって顔をあげた。

「ヤッホー、最原ちゃん。なに、って、最原ちゃんがお菓子をくれなかったから、イタズラしてるだけだよ!」
「え? お菓子」
「Trick or Treat!」
「そ、そんなの聞いてない」
「それは最原ちゃんが寝てたからじゃないかなー。とりあえず、オレのイタズラを止めたければ、力ずくで止めてみせてよ!」
「寝てるときに? いや、今日は疲れてはいたけれど、居眠りはしてな……じゃなくて、王馬くん、待って!!」



 追いかけに、追いかけて、王馬くんを屋上まで追い詰めた……はずだ。僕は、息を整えながら、屋上の扉を開けた。

「最原ちゃん、来たんだ」
「来るに決まってるだろ」

 王馬くんは、今横断幕のようなものを手に持っていた。
 そこに何が書いてあるのかは分からないが、きっと追いつかなかったら、さらなる面倒なことが起こっていたに違いない。

「にしし、最原ちゃんってば、もう息があがってるじゃん。次は何をしよっかなー。最原ちゃんこちらー、手の鳴る方へ!」
「あっ! く、くそっ」

 王馬くんが僕の通ってきた方とは逆の階段を降りていく。そうだ、屋上の出入口は一個じゃなかった。全然追い詰めてなんかいない。
 僕も、王馬くんの後を追って階段に足を踏み入れた。昨日の疲れと先ほどから続く追いかけっこのせいか、足の踏ん張りが弱い気がする。

(あと、もう少し)

 王馬くんの背は、すぐそこにある。
 震える筋肉を叱咤し、一歩一歩前へ。
 ふと、踊り場についた王馬くんが、こちらを振り向いた。とてもいい笑顔だ。
 その顔に何だかイラッとして、王馬くんに手を伸ばした。

(あ……)

 足が、階段をとらえることができずに宙をかく。それだけで、身体の均衡が失われた。
 ゆっくりと、傾いでいく。周囲のスピードがスローモーションになっているようだ。
 王馬くんが、口と目を大きく開けて。

「っ、はっ……」

 知らずに止めていた息を吐き出す。心臓が勢いよく動き出した。

「大丈夫? 最原ちゃん」
「う、うん」

 僕の身体は王馬くんに受け止められていた。思いの外、体幹がしっかりしていて、少し悔しい。

(あ……)

 僕は、あることに気づいて、王馬くんの背中に腕を回した。

「なになに? 最原ちゃんってば、しっかりとオレを抱き込んじゃうなんて、オレのもの自覚が出てきたのかな?」
「つかまえた。これでイタズラは終わりだよ、王馬くん」
「…………たはー、つかまっちゃった」

 捕まったというのに、王馬くんは何だか楽しげに笑っている。どういうことだ?

「やっぱり、最原ちゃんとの追いかけっこは、興奮するよね!」
「僕は、全然楽しくないんだけど」

 僕は、諦めてため息をつく。何だか、とても疲れてしまった。
 そんな僕を後目に、王馬くんは何が楽しいのかずっと笑い続けていた。



(作成日:2020.11.01)

< NOVELへ戻る

上弦の月