上弦の月

第179回 王最版深夜の一本勝負
お題「雷」

「やっと終わった」

 最後の資料を棚に入れると一息つく。
 外を見れば、かわらずの悪天候。結局、雨はやまなかった。

(依頼もないし、おじさんは直帰予定。僕もそろそろ帰るかな)

 荷物を持ってこようと立ち上がった瞬間、背後から軽快な足音が聞こえてきた。

「だーれだ!」
「うわっ」

 目の前が真っ暗になる。こんなことをしてくるのは一人しかいない。

「……何するの、王馬くん」
「最原ちゃん。少し迷う素振り見せてよ」

 目から手が離れると光が戻る。
 振り返ると、予想通り王馬くんがいた。 ?

「どうしたの? 王馬くん」
「いやさー、最原ちゃんと一緒に帰ろうか、と思ってね」
「ここ、学校じゃなくて事務所なんだけど……」

 ため息の音を雨音がかき消していく。
 憂鬱な気分で外を見やれば、遠くで一筋光るのが見えた。大きな雷音が響く。そして、……視界が真っ暗になった。

「え?」
「あらら、停電かな?」
「そ、そうか、停電。た、確か懐中電灯がカラーボックスの中に、うわっ」
「っ!」

 何かに引っかかって盛大にこけた。紙や固形物が床に落ちる音がする。
 僕は、何かやわらかいものを下敷きにしてしまっていたようで、怪我はなさそうだった。

(何を敷いてしまったんだ?)

 手で柔らかいものを触る。
 暖かくて、布のようで、これは……人?

「さ、最原ちゃん。積極的なのは嬉しいけれど、ちょっ大変なことになるから、それ以上触らないでくれる?」
「え?」

 窓から光が差し込み、部屋の中ぎ一瞬明るくなる。雷に照らされた王馬くんの顔が見える。
 思っていたよりも近い距離。少し困ったように眉尻を下げる表情。初めて見るものばかりで、心臓が跳ねた。

「あ……」

 再び訪れた闇に、その場から動けなくなってしまった。視界が塞がれたことで、他の感覚が鋭敏になる。
 わずかに聞こえる吐息。布越しに感じる体温。雨の匂いに混じる、仄かなプァンタの香り。
 王馬くんを、とても近くに、感じる。

「王馬、くん」
「なに、最原ちゃん」

 頬に、手を当てられた。
 頬にあたる熱をさらに感じたて、一寸先すら見えないのに、僕はさらに目を閉じた。瞬間、目蓋の向こうから光が差す。

「あ、明かりついたね」
「そ、そう」

 目を開くと、確かに元の明るさに戻っていた。
 王馬くんは、さっさと僕の下から抜け出していく。

(……僕はいったい何を)

 心臓の動きが変になったまま、壁に身を寄せた。顔が熱い。

「最原ちゃーん、帰らないの?」
「か、帰るよ」

 僕は、火照った顔を覚ますように、手で風を送りながら、事務所の電気を消した。



(作成日:2020.07.05)

< NOVELへ戻る

上弦の月