第121回 王最版深夜の一本勝負
お題「スーツ」
人が溢れるホールから、廊下に避難する。つめていた息を吐き出して、首元をゆるめた。ネクタイが少し歪んでしまったが、あの煌びやかな世界に戻る気は起きないのでいいだろう。
(疲れた……)
今日は、依頼主から無事にペットを見つけたお礼だと言われて、ホテルの立食パーティーに参加していた。付き合いで参加したはいいけれど、かなり上流層のパーティーだったため、予想以上に気疲れしてしまった。着慣れないスーツも食べなれない料理も目に痛いドレスも、どこにも楽しめる要素はなかった。
(依頼主に挨拶もしたし、もう帰ろう)
首を回すが、肩は変わらず重いままだ。もう一回ため息をついたところで、背後から何者かに腕を取られた。
「え?」
「やーやー、そこのお兄さん。楽しんでる?」
「お、王馬くん?」
僕の腕を絡め取っていたのは、見慣れない格好の慣れ親しんだ人物だった。王馬くんは髪を一つに括って、普段の白い服とは真逆の黒いスーツを着ている。何だか、とても新鮮だ。
「王馬くんは、どうしてここに?」
「にしし、実はDICEの支援者がこのパーティーに出席しているんだよねー。だから、一応お世話にもなっているし、総統のオレみずから顔見せにきたってわけ。そうしたら、見覚えのある探偵さんを見つけたから追いかけてきたんだよ」
「そうなんだ」
王馬くんにしては、いたって普通の内容だ。特に裏もない気がする。
「そういう最原ちゃんは、どこへ行くの? まだ、パーティーは終わりじゃないよ」
「ああ、僕はもうそろそろ帰ろうかと思って」
「ええっ、帰っちゃうの!?」
せっかく会えたのに、と王馬くんが叫ぶ。あまりの大声に、思わずあたりを見渡すが廊下には誰もいなかった。ひとまず、胸をなでおろす。
「誰もいないから良かったけれど、こんなところで大声出さないで、ん、んんんっ!」
文句を言い終わる前にネクタイを引っ張られた。ネクタイにかかった力に抗うことは出来ず、自然と頭が落ちる。そして、目の前の人物に口を塞がれた。
柔らかくて弾力のあるものが、僕の唇をなぞっていく。自分が何をされているのか理解しはじめたところで、唇が離された。顔が、熱い。
「お、おおお王馬くん。こ、こんなところで何考えてるんだよ」
「何って、ナニかな」
ふざけた物言いをする王馬くんの肩を軽く押す。だけど、王馬くんは僕から離れていかず、腰に腕を回してきた。
「ねー、最原ちゃん。ここのホテルって、上の階は普通の客室になってるんだけど、どうする?」
「どうする、って」
ホテルの照明を反射する紫の瞳がギラギラと輝いているように見える。普段なら来ない場所、普段なら着ない服。それらが僕の鼓動を惑わせてしまっているのかもしれない。
(まだ、顔が熱い)
これもすべて王馬くんのせいだ。
だから、僕も王馬くんのネクタイを引っ張った。
(作成日:2019.05.26)