上弦の月

第119回 王最版深夜の一本勝負
お題「豚足」

 今日の仕事も終わり、自宅の扉を開けると部屋の明かりが光り輝いていた。

(王馬くん、来てるのか)

 リビングを覗くと、予想通りソファに座って携帯ゲームをしている王馬くんの姿があった。
 友人の王馬くんは、いつも突然やってくるとこうやって勝手に人の家にあがりこむ。
 学生の時から数年の付き合いだから、こんなことにももう慣れてしまった。

「あ、おかえり、最原ちゃん。おかえりのキスしよう」
「しないから」

 ゲームを置いて迫ってきた王馬くんを押し返す。
 王馬くんは不満そうに顔を歪めるが、そんな簡単にキスを受け入れるわけにはいかない。

(受け入れたら、『嘘だよ』って言って笑う気なんだからタチが悪い)

 王馬くんと僕は、まだ友人という関係だ。だから、王馬くんの言葉をすべて真に受けていたら、心臓が何個あっても足りない。
 そう、分かっているはずなのに、わずかな動揺は必然的に起こってしまう。僕は、王馬くんが好きだから。
 僕は、少しでも気分を紛らわせるために、今日依頼人からいただいたものを机の上に並べていく。
 何故か、食べるものを沢山もらったので今日の夕飯を考えなくて済む。すると、一点を見つめる王馬くんに気づいた。

「王馬くん、どうかした?」
「……それ、もしかして、豚足?」
「うん、そうだけど」

 王馬くんが指差したものを見て頷く。パッケージには豚足の甘辛煮込みと書いてある。おいしそうだ。

「へー、そうなんだ。まったく最原ちゃんってば分かってないなー。
そんな安っぽい肉は総統のオレに相応わしくないでしょ。同じ豚ならA5の肉くらい持ってこないと、オレの舌が満足しないよ」
「A5って……それ、牛だよね」

 王馬くんにツッコんだ後、少し考えて首をかしげた。

(…………うん?)

 王馬くんの軽口はいつもと変わらない。けれど、内容は豚足を拒否するような発言だった。
 もしかして、王馬くんって、豚足が食べられないのだろうか?
 苦手か、はたまたアレルギーなど体質的に食べられないのか。試す価値は、ある。

「そうだ、王馬くん。王馬くんが豚足食べてくれたら、キスしてもいいよ」
「は?」

 僕は豚足を箸で持つと、王馬くんの口の前に差し出した。

「はい、どうぞ」
「…………」

 これは、王馬くんを試す行為だ。
 豚足を食べなかったらやっぱり“おかえりのキス”は冗談、逆に食べたら本気だということ。
 王馬くんと見つめ合う。しばらく眺めていると、王馬くんが動いた。口が開いて、豚足は王馬くんの中に消える。

(食べ、た)

「いやー、やっぱりこの安い味は総統には相応わしくないって! これはお口直しが必要だよね」

 王馬くんは何でもないように振舞っているけれど、口端が引きつっているのが見て取れる。
 そんなに無理してまで、食べてくれたことは嘘じゃない。嘘じゃ、ない。
 胸の奥がじんわりと熱くなる。

「最原ちゃん、宣言通りキスしよっか。
オレにここまでさせたんだから、おかえりのキスなんて生易しいものでは終わらせてあげない。嘘じゃないよ」

 王馬くんに腕を引っ張られる。
 急速に近づいてくる顔を、今度は押し返さずに目を閉じた。



(作成日:2019.05.12)

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