上弦の月

第109回 王最版深夜の一本勝負
お題「アイドル」

(はぁ、胃が重い)

 水を飲もうとコップを持ち上げるが、中身は空になっていた。飲み干してしまったか。

「最原ちゃん、どうしたの? あ、あまりのオレのかっこよさに緊張しちゃった? あー、オレって何て罪つくりなんだろう」
「は、はは」

 王馬くんが軽口を叩いてくれるが、僕の緊張は一向に解かれなかった。

「二人とも入ってください」
「はーい」

 スタッフに促されて、セットに向かう。王馬くんの後ろ姿を見ながら、再びため息を吐く。と、王馬くんが急に立ち止まった。

「王馬くん?」
「最原ちゃん、オレたちは別に超売れっ子で過密スケジュールってわけでもないし、スタッフだって初PVってことは知ってるよ。大丈夫、嘘じゃないよ」
「……うん、ありがとう」



 僕と王馬くんは、いわゆるアイドルをやっている。
 二人とも家族に勝手に事務所に写真を贈られて採用されたという経歴から、同じグループとなって活動するようになった。
 場を引っかき回す王馬くんと、それを諌める僕。その掛け合いが悪くなかったのか定期的にバラエティ関係の仕事を貰えるようになり、知名度もあがってきた今、初めての新曲リリースとなった。
 今日は、その新曲のためのPV撮影の日。テーマは『天使と悪魔』。王馬くん扮する天使が寝ている悪魔にイタズラをするというストーリーだ。

(そういえば、王馬くんはどんなイタズラをしてくるんだろう?)

 白い服に黒いネックレスをつけた王馬くんを見る。僕の視線に気付いた王馬くんが、手を振りつつある方向を指さした。

「最原ちゃんの寝る場所あそこだって」
「へー、そうなんだ。……え?」

 王馬くんの指の先には、かなり大きな熊のぬいぐるみがあった。周辺にも小さなぬいぐるみが配置されているが、大きな熊のインパクトが強すぎる。

「なに、このぬいぐるみ」
「悪魔だから悪魔っぽい装飾にするんだって。最原ちゃんの服も悪魔モチーフだけど、黒服赤チョーカーとか悪魔要素足りないじゃん。だから、この熊の登場って訳。ほら、左半身が凶悪だよね?」
「確かに、どことなく邪悪だけど」
「最原さーん、スタンバイお願いします」
「は、はい!」

 スタッフに促され、とりあえずぬいぐるみの前に座った。ゆっくりと身体を預けてみる。

(あ、結構やわらかい)

 意外と居心地がよく自然と目が閉じた。

「立て膝に腕組みか。予想と違ったけど、まー、これはこれで」

(? 王馬くん、何か言ってる?)

「シーン五十三。スタート」

 王馬くんが近づいてくる気配を感じる。いったい、何をしてくるのか。

(鼻をつまむ。顔に落書き。くすぐってくるかもしれない)

 そこまで考えて疑問が生じる。そういう子どものようなイタズラは、あまり曲にそぐわない気がしたのだ。新曲の歌詞は何回も練習して収録したから覚えている。身分の差を嘆く恋の歌だ。
 王馬くんが僕の膝をまたいだ気配がした。手が肩に触れる。

(あ、れ……?)

 王馬くんの手が肩をなぞって、首を辿り、頬を撫でた。そして、指先が唇に触れる。

(何を?)

 心臓が早鐘を打つ。今すぐに目を開けてしまいたかった。見えないことが恐ろしい。次は何をされてしまうのか。
 緊張で身体が震える。唇に、風を感じた。もう耐えられなくて、震える瞼を持ち上げる。

「……起きちゃった?」

 目と鼻の先に王馬くんの顔があった。いつものおちゃらけた雰囲気は全くなく、蟲惑的に歪む表情に目が離せない。

「あ……」

 これは、身分の差を嘆く恋の歌。



「カット!」



(作成日:2019.03.03)

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